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ブリタンニクスについての記事

クラウディウスの息子「ゲルマニクス」として41年に生まれる。3歳の時の44年に父クラウディウスはブリタンニアを属州とし、ローマで凱旋式を挙行した。このブリタンニア遠征の戦勝を記念して『ブリタンニクス』の名が与えられ、以後この名で呼ばれる。

48年10月に母メッサリナは、クラウディウスがローマを留守とした際に浮気相手であったガイウス・シリウスと正式の結婚式を行った。この結婚は皇帝への反逆と考えられたため、2人はすぐに拘束され、母は父によって処刑された。

一人身となったクラウディウスは49年に姪であった小アグリッピナと結婚し、ブリタンニクスは新しい母と共に、小アグリッピナの連れ子で3歳年上の義理の兄ルキウス・ドミティウス・アヘノバブルスを迎えることになった。それまで皇帝の唯一の男子の地位は帝位の継承を約束していたが、継母とその連れ子の存在はその帝位継承を危うくさせるものであった。

事実、息子を皇帝にと望む小アグリッピナは、ブリタンニクスの姉オクタウィアと息子を婚約させ、さらに50年2月25日には息子をクラウディウスの養子とした。このときから小アグリッピナの息子は「ネロ」と呼ばれるようになる。法的地位でネロはブリタンニクスと同格となったが、51年に皇帝の公式相続人となるなど、徐々に帝位の継承者としてブリタンニクスを凌駕するようになっていった。そして54年に父クラウディウスが死去すると、皇帝位にはブリタンニクスではなく義理の兄ネロがついた。

ネロが皇帝になると、先帝の血を継いでいたブリタンニクスの立場は非常に危ういものとなっていった。55年、ブリタンニクスはネロによって晩餐の途中に暗殺された。その際ネロは「てんかん」の発作であると語ったという。遺体は皇帝廟に祀られたが、ユリウス・クラウディウス朝ではブリタンニクスが最期に祀られた人物となった

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2007年10月12日 15:41に投稿されたエントリーのページです。

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